子ども会社設立の思い

簡単な経歴

山野純平

北海道出身 1991年生まれ

大学までは北海道で過ごします。

ずっと野球をやって来ましたが、将来何をやっていきたいか全くわからず大学では過ごしていました。大学は教育学部だったので、「取れるものは取ろう」くらいのかるい気持ちで小学校・中学校・高校の教員免許を取得する。しかし、先生をやりたいという気持ちはあまりなかったです。「自分に何が仕事でできるんだろう・どんな仕事ができるんだろう」といつも思っていました。

とりあえず今、民間企業で働いたり教員や個人事業もやっていてそれなりの生活をすることができています。

社会人になって思ったのは「お金を稼いで自分で生活するのって、カンタンではないけれどすごく難しいわけでもない」ということ。

それと「もっと自分の力でお金を稼ぐ経験を子どもの頃からできたら良かった」と心底思いました。

これが子ども会社を始めようと思ったきっかけです。

以下は子ども会社設立についてより詳細に繋がる僕のストーリーです。興味があればお読みください。

大学3年生の時同じ研究室に、大学を休学し青年海外協力隊でモザンビークへ行っていた先輩がやって来る。その先輩の影響もあり大学卒業まで残り半年というタイミングで、1年間大学を休学しボランティアや様々なアルバイトを経験する。「大学の間にしかできないことをやる時間にする」と考えていました。

その中で母らんってぃあでフリースクールの活動に関わらせてもらう。そこの代表の人たちは「やりたいことをやっているだけ」と言っていた。この言葉が私の原点です。

「好きなことをやって生きていく」

これが人生の究極の目標であり、現在少しずつですが達成できています。今やっている仕事は全て楽しい・好きなことだけでやらせてもらっています。

「何にも実績もない・名も無い・特別なことができるわけでもない」そんな自分でも夢を叶えて成功できることを証明したい。そんな思いを持ちながら毎日過ごしています。

休学していたときは東日本大震災が起きてから1年半ほどたった頃だったので、何度かボランティアに足を運びました。

そんなきっかけで「東北の力になりたい」と思い、東北地方の公務員試験を受けましたが全滅。

休学して、同級生の友だちはすでに働き始めていて、また自分自身も色々な経験をして自信もつき「早く働きたい」という思いが高まっていたのが23歳の頃。

就職も決まらず12月を迎え「とりあえず臨時採用で教員をやろうかな」と考えていたところに、自分の研究室の教授に呼ばれこう言われる。

「お前アメリカに行かないか?」

その教授の上司にあたる人の教え子の方がアメリカで野球の指導をしていて、その指導を手伝える人を探しているとのことだった。

ちょうど「そのうち留学をしたいな」という思いも持っていたり、色々な思いが巡りましたが「こんなチャンスない!」と思い翌年4月から渡米。

現地では語学学校に通いながら野球の指導の勉強。

10ヶ月ほどいましたが、野球の指導については「教えるのとプレーするのとでは全然違う」ということを痛感させられました。

語学学校では授業で何度も聞かれたこと「あなたはどう思いますか?」

これに対して、自分の考えなのに自分のことなのに、「わからない」。これしか言えませんでした。

アメリカで過ごしたことは楽しかったけど、こんな風に失敗の連続でした。そこで感じたのは「今までの総体で自分ができている。今まで色んなことから逃げてきていたから、こんな失敗しかできなかったんだ」と。逃げてきてばっかりで、何も身に付けてない人間じゃ所詮こんな結果だろうと。

日本に帰ってからは「逃げない・立ち向かう・挑戦する」、その決意を固めることができました。

現在もその生き方は続けることができていると思います。

社会人になってからは本当に色んな人と出会いました。

億万長者などの経営者・成功している人たちだけでなく、詐欺師のような人にだまされかけたこともあります。

「なんでこんなしんどい思いをしなければいけないんだろう」と毎日のように思っていた時期もあります。

でも、おかげで生きていく術を学ばせてもらいました。

まだまだ途上ではありますが、毎日自分が好きな人たちに囲まれて楽しく過ごせていることがとても幸せです。それも挑戦して自分と戦ってきたからだと思っています。

僕自身が学んできた「幸せに生きていく方法」を伝えていって少しでも世の中の役に立てたらなという思いも子ども会社設立につながっています。

自分の力で少しでも明るい世の中にして行くために、子ども達と一緒に考えていけたらなと思っています。