昨日少しおおきな地震がありましたね。僕は鈍すぎるので、地震が起こったことに気づかず、周りの人たちが机の下に一斉に潜り込んだのを見て地震が起こったのだと理解しました。結局全く揺れを感じることが出来ませんでした(笑)。なんだか自分が心配です(笑)。にしても周りの人たちの反射神経が凄いと思いました(笑)。震度3はかなり経験してきたので、自分の危機感もちょっと薄くなってしまいました。8年くらいたちます。東日本大震災が起こってから。震災からは少し経ってしまってからだったけど、長めのお休みをもらって現地にボランティア活動に何回か行きました。1年半くらい経っていたけど、街はぼろぼろでした。海のすぐ近くは建物がほとんど無く更地になっていました。さすがにがれきは片付けられていたけど、どんなことが起こったのか、イメージは現地に行ったことでより鮮明になりました。役場の職員の方が自分の危険を顧みず、ずっと避難の放送を続けたこと。漁村で、知り合いを亡くし、自分が住んでいた街を盛り上げたいと下宿先から戻って、漁師になることを決めた高校生。訴訟の起きた大川小学校の校舎。見て聞いてこんなことは二度と起こって欲しくないと感じました。自分の知り合いがもし・・・ということを想像すると、知り合いじゃなくても悲しいことなのに。思いは人それぞれあると思うけど、この時代に生きていた人間として、この出来事は後世に伝えていかなければいけないと思っています。悲しい出来事だからこそ。あれからしばらく様子を見にいけていないからまた近いうちに行きたいと思っています。時間が経ってからの復興の様子、まだ自分に出来ることがあるのであれば、やっていきたい。同じ日本という国の中での意識だけど、留学に行ったときに色んな国の人と出会って、世界中から支援をもらっていたことがわかった。それだけ世界でも注目されていたことで、誰もが知っていた出来事だった。被害のあった国の人間としても、教訓は伝えたいと思う。自分の国の人たちに向けてということに留まらず。救える人たちは全部救るように。自分の力で一人でも救われるのなら。僕としては、感じることは人それぞれで良いから、現場にみんな向かって欲しいと思っている。日本人ならば。忘れ去られるのが一番怖いこと。色んな人に支えてもらったと言う点でも、少しでも多くの人にこの出来事を知ってもらいたいと思います。それが日本人にしか出来ないことだと思う。
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